ダグラス・マッカーサー - Wikipedia: "マッカーサーは1945年8月30日に専用機バターン号で神奈川県の厚木海軍飛行場に到着、以後1951年4月11日まで連合国軍最高司令官総司令部(GHQ / SCAP)の総司令官として日本占領に当たった。"
現代のニッポンの根幹はマッカーサーによって作られた。「民主的」な農地解放や、土地私権の絶対性、「平和憲法」などなど。マッカーサーとしては、これら「民主的改革」は共産主義の脅威と対抗するための「必要悪」みたいなもので(特に農地解放は農民を共産党に行かせないために農業生産性を犠牲にして行った前代未聞のバラマキだった)、平和な時代になったらニッポン人が自分で時代に即した制度改革をするだろうと思っていたのだろうが、いったん国民(農民)に権利を与えるとそれが既得権化するのである。ニッポンはいまだにマッカーサーが残した負の遺産に苦しんでいる。
マッカーサーが日本に何を残したのか、マッカーサーの改革とその評価について当時4歳半だった人が書いておられるものがあり、これが秀逸。戦後の日本人は大なり小なり「マッカーサーの子供たち」でもあった。白象さんのページ。↓
マッカーサーによる「上からの改革」
http://www2u.biglobe.ne.jp/~hakuzou/MacArthur.htm
マッカーサーが日本にいたのはわずか6年足らず。すぐにいなくなったわけで、今の世の混乱は、マッカーサーではなく、やっぱり後を引き継いだ人たちが責任を負うべきだと思う。
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